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下の文章はは、行く前に書いたた「旅行に行く理由」です。
こんなかんじで世界一周は始まったわけですね。いやあ、帰国後はちょっとなつかしいやらなんともいえない気分です。 けっこうアバウトな理由ですが、
「行きたくて、本当に行ってしまった、そしてちゃんと帰って来れた」というのはなかなかイバれますね。きっと。 ではどうぞ。
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はじめまして。
せつです。僕の名前は、せつはやと といいます。
ぼく、2002年1月に会社を退職しました。
3月まで準備をして、 父の三回忌がおわったあと世界一周旅行をはじめました。
期間は1年です。
お金が無くなったりしたら帰ってきます。
「どうして行くのか?」
と聞かれると、どうしてもこうしてもなく、
「行きたい」、それだけなんですけどね。
世界旅行は、夢でした。
バックパッカーのように、「とにかく節約、旅行することが目的のケチケチ旅行」でもなく
パックツアーのように「過度に贅沢で融通のきかない、かいつまんだ旅行」でもなく
せっかくだから、 お金を有効に使った、楽しい旅行をしたいなあ。
「この旅行で人生が大きくかわるはず」とか、「今後は旅に生きる」とかそんなことは全然考えていません。
かえった後、もっと楽しい人生を送るため、楽しく仕事をするための「夏休み」ですね。ロングサマーバケーションです。はい。 そんな人生やそんな旅行があってもいいんじゃないかな。
さて、
ここから話は重くなります。
「何で、今行くのか?」 っていうのは理由があって
「今が行きどき」だと思ったのです。
2000年の春、父が癌で死にました。
生前、父に
「癌だから治らないんだ。死ぬ前にしたいことない?」と聞いたら
なんと、即答、「仕事がしたい」!
おいおい、そんなふうには、ぼくは絶対思えないなあと思った。
「仕事」を「人生で一番やりたいこと」と言える人生。
すごいような、悲しいような、うらやましいような。複雑な心境。
でもやりたいことが即答できるというのはすごい!
で、父の死後
「死ぬまでにどういうことをすれば、ぼくは満足か」という事をすごく考えてしまいました。
死ぬまでに何をやればしあわせなのか。
これは正直分からなかった。
でも、
「やりたいこと」を先送りして
「あんまりやりたくないなあと思うこと」を、仕方なーく半分くらいの力でやっている。
しかも、そのことを自分自身で正当化している。
「楽しい休日を設定して、それにむけて、日々の仕事をがまんしてやろう」みたいな気分、なんとなくゆううつに時間を費やすようなことがふえてしまいました。
「いやだなあ」と、どんどん不健全と思えてきたのでした。
さて
「今後、死ぬまでの時間をどう費やすか」ということをかんがえた時
....この先、母親が倒れたり、自分が結婚したり子供ができたり、.....
いやあ、なかなか自分勝手にはできないなあと。
自分の時間やお金は、自分の年令や健康、家族の状況によって、
使い方が限定されることが、実はすごくあります。
自分の体が普通に動いて、無理もきいて、家族も落ち着いていて、 まとまったお金もできて、社会人になっていろんな経験もできたし。。。
。。。あとは時間だけだ!
いまの会社生活、
給料や勤務時間や同僚にもほんと、恵まれていて
「すごいイヤだああああ」というわけでは、ないのですが......
でも、もう5年くらい同じようなことをして働いてきた。
しかもこの不景気。
イケイケどんどんの仕事も減りました。
....諸々考えると
いまぼくは何かをやろうとした時に、「かせ」になることが極めて少ない、 人生上、またと無いチャンスだと思ったのです!
父のように突然51才で死ぬことがある。
定年まで働いたりして60を過ぎて、時間ができて、さて体は動くのか? そのとき旅行に行ってその感動や経験は何になる?
これは、もう、今しか無いのです!
ということで、彼女も説得し、ふたりで行ってきます!
なんで二人なのか。実はよくわからない。
一人ではさみしいからかな。なにかと不便だしお金もかかるし...
一人なら多分行かなかったと思う。
二人だから行けるのだとおもう。
* 彼女の名前はさないち。さないちというのは愛称。
ほんとの名前はたしろさなえさん。8ねんつきあってる彼女です。
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