【DATA】
[物価] ★★
25%東京
[人の
よさ]
★★★★★
[治安] ★★★★
[移動容易度] ★★
酸素が薄くてつらい!
[総合おもしろさ@せつ]
★★★★
[総合おもしろさ@さな]
★★★★★
2002 December 1-5 4nights


【この町のホテル】 Hotel Sagarnaga
16US$(2100円)
トイレバス中、 冷暖房/あり 接客/よい 立地/中央の広場から坂をあがったところ。近所は繁華街。安全。清潔さ/ふるいがきれい。

■天空の街
夜9時にラパスについた。ウユニからガタガタ道をぼろぼろのバスではしること12時間! ようやく見えてきた標高3880mのラパスの街はすばらしい夜景。ラパスの街は強烈な盆地だ。山を超えて街に入ると、すり鉢状の街の表面すべてが明かりで素晴らしい。あっけにとられる。今まで見たいろんな夜景とくらべても一番かも知れない。こんな山の上にこんな大きな都市があるとは。

けっこうつかれてたのでいいホテルにとまった。バックパッカー用なら5ドルくらいからある。歩き方にのってた。(左欄参照)


朝になって雨が降った。
雨はなん日ぶりだろう? イースター島を出てチリ、ボリビアはずっと雨がなかった。砂漠と不毛の山岳平原ばかりだった。体も埃っぽく乾いていた。
ラパスの街の空は青い。恐ろしく青い。本当にきれいだ。雨が降り雲があるのでいっそう青さが引き立つ。

ホテルからセントロの広場まで歩く。下り坂なのにつらい。ここは標高3800m、富士山より高い街だ。あたりまえか。ほんとうにふつうの感覚でいると偉い目にあう。帰りの上り坂はほんとうに辛い。でもまちは忙しくて車がおおいけど、優しい人がおおい。近所の食堂に入ったら煮込んだだけとか焼いただけとか素朴な料理がおおい。とてもおいしかった。ほっとした。




■ラパスは都会だぜ! と、おもった。
次の日、街を歩いてみる。うおお、都会だ。インターネットもカフェもレストランもCDやさんもなんでもある。ウユニのある同じ国とは思えない繁栄ぶり。坂がきつい。空気が薄いのですぐにぜいぜい言ってしまう。 夜に夜景を見た。思っていたよりも盆地は狭かった。けれどもお皿の表面がすべてクリスマスツリ−のようになっている様は、すごい。今まで見た夜景の中でも1、2の美しさだ。来てよかったと思った。

■インディヘナのおばちゃんが多い。ふつうのカッコした人もおおい。さすが首都。欧米人向けのきれいなカフェなんかもある。



■おっとり商売、ボリビア人
発展途上の国にいくと、うんざりするほどの物売り。かならず遭遇するボリ。おかげで大変労力を使うディスカウント作業。
いざ買う段になると、高すぎなので「まけてくれ」と言い、それでも折り合いがつかないことがよくあります。「じゃ、いいよ」と言って帰ろうとすると、たいがい「待った待った!」といってまけてくれます。
が、ここボリビアでは「あ、そう、またねえ」みたいなかんじ。
あまり積極的にものを売ろうとしないんです。
町中にインディヘナのおばちゃんが座りこんでいろんなもの売っていますが、熱心な客引きと言うのはあまりないですね。
そいで、おもしろかったのは、道ばたでちっちゃい子供をつれて、売っているおねえちゃんがいたんだけど、交渉がまとまって、お金を払おうとして、大きいお札しかなかったんです。そしたらおねえちゃん、そのお札持って、子供も売り物もぜんぶおいたまま(こどものうつってる写真参照)両替えにいっちゃったんだよね。のんきな感じです。
後で聞いたんだけど、おつりがなくて両替えにいくのは南米の常で、それ持って逃げるってことはまずないらしい。どんなに世情不安な国でもそれはないらしい。 ちゃんと値切った金額ぶんしか受け取らないで、かならずおつりをかえしてくれるそうです。おもしろいねえ。

▲たくさん買って、日本におくったゆび人形。まじで手編みらしい。5コ1ドル。
ちなみにこのあとのロサンゼルスのMOCAのミュージアムショップで1こ2.5ドルでうってたぜ。
■右のおばちゃんはいちおう商売してる。みんなマッチとかタバコとか同じようなくだらないもの売ってる。




■このあたりの写真は「さすが首都」という建物集。あんまり大きくはないけど、スペイン様式で立派。
■右上写真、もの売りくんはガムを売ってる。■警官のおじちゃんも人なつこい。警官のうしろは靴磨きのブース。


■[右下写真] ボリビア、ペルーではふつうのライトバンが私営ののりあいバスです。
ドアをあけぱなし、車掌のにいちゃんが行き先を呪文のように唱えながら走ります。
行き先を確認して素早く乗り込んで、自分ですきなところでおりるんです。市民の足です。

■恒例くいものシリーズ。
ラパスでたべたうまかったものシリーズ。
■日本人会館
ラパスには日本人会館というのがあります。
そのむかし、戦前、たくさんの日本人が南米北米各地に移住しました。有名なのはペルーとかブラジル。ペルーにはフジモリ元大統領のように、2世3世として活躍する日系人がたくさんいます。ブラジルには世界最大の日本人街がサンパウロにあります。アメリカのサンフランシスコやロスにも日本人街があります。
ここ、ボリビアにもかなりの数の日本人が何期にもわたってやって来ましたが、「新天地」という甘い合い言葉でつれてこられた彼等の生活は、それは目を覆うようなものでした。彼等の多くは貧困にあえぐ農村出身者で、日本の生活に行き詰まって、やむなく来たという人たちもたくさんいまいした。
やっとの思いで日本から遠く離れた南米の土地に来た彼等をまっていたのは、荒れ果てた不毛の大地だったり、山奥のジャングルのような地域でした。彼等はそこを開墾し、農地にかえていきましたが、なかなか思うように進まず、病気や飢え、伝染病などでかなりの人が死んでしまいました。いまでも「なむあみだぶつ」とひらがなで彫られた石が残っていたりします。
また、彼等の子孫の中には農村を捨て、都会に出て現地の人と同じように暮らしたりする人たちも増えました。そういう人の中にも、差別されたり、不等な待遇をされたりと、たいへんな歴史があります。また第二時大戦中は、日本は敵国ということで日本人を強制収容所に隔離した国もあります。
こういう2世3世のなかには、完全に日本人であることを捨て、移住先の国民として生きていく道を選んだ人もたくさんいます。なかには志願して日本との戦争に参加する人もいました。
同じ日本人の血を受け継ぎながら、日本にいる日本人とは全く違った境遇で生きてきた日本人が南北アメリカ大陸にはたくさんいるのです。
ぼくは日系人も同じ日本人だと思っていましたが、彼等と僕らでは、もはや根本的に歴史がぜんぜん違うので、それをしっかり認識した上で接しないと、思わぬ誤解や、相手に対して失礼なことをすることになるんじゃないかと感じました。
旧日本軍が占領した、サイパンやミクロネシアの島々、台湾、韓国、中国などのことはわりと話題になりニュースになりますが、南米にもたくさんの日本人達の子孫がいて、複雑な気持ちでいる人たちもたくさんいることを初めて知りました。

この日本人会館には図書館があり、ひさしぶりに日本の本をたくさん読みました。ここにある本は、日本の図書館や、個人の寄贈によって、かなりたくさんの日本の本があります。まんがもたくさんありました。
またレストランでは日本食が食べられます。ひさしぶりにとんか定食を食べました。(写真左)
壁には日系人の子孫の書き初め大会やカラオケ大会の案内、日本語練習教室の案内などがありました。
日本人であることを残そうという努力と、日本人であることをはじめから意識しない人たちと、いろんな考え方がここにあります。

■パンとおろしチーズ。

■焼いただけとか素朴なものが多いので安心して食べられる。

■ビール、冷えてた。うまかった。素焼きのグラスもいいかんじ。
■近所のレストラン。というか食堂。

■マテデコカ。コカ茶です。日本には持って帰れません。逮捕です。高山病に効く。うすい緑茶のあじがします。


■日本人会館のとんかつ定職。煮物付き。カンドウした。


■おまけ。ボリビアのおかね。単位はボリビアーノという。1ボリ20えん。


【はみだし】★ラパスにきてほっとした。やっぱり都会人だなと痛感。★ボリビアの人はモンゴロイド系なので、どことなく日本人ににてる。こどもはとても可愛い。 ★ボリビアのくるまはほとんど日本製。車検切れで廃車にしたまんまのクルマがそのまま走ってる。たとえばタクシーは「キャノン販売」や「JR東日本宇都宮」とかかいたまんま。大形のバスは「あぶくま観光」とか「みずほ幼稚園」。


ウユニからラパスへ プーノ



Thanx for all of cheers and all of kindness. We are realy happy man.

2003 Hayato Setsu and Sanaichi Tashiro